石ノ城紀行


古戦場は今は水底で静かに眠る

石ノ城は、湾曲した川の内側の、岬のように突き出た部分に立っていた。
現在はすぐ近くにダムが建設されており、当時よりも水面が10メートル以上あがっているようで、石ノ城の「絶壁の上」部分が何とか水面から顔をのぞかせている状態である。
つまり、この目線の高さに石ノ城の建造物が立っていたと思われ、ダムの水深の深さ分の絶壁がそびえていたと考えられる。
下の写真は、その岬のように突き出た部分の横側を、川の反対側から見た写真である。左奥は「山深い米良の山」につながっており、右手前が石ノ城の絶壁の先端である。
島津征久が向かい合わせの城を作ったのは、この写真の右側(川上)のフレームアウトした部分と考えられる。

石ノ城

佐土原藩譜の記述をもう一度ここに記述する。
「城の背後の峰も高く、周囲の山も険しく巌(いわお)のように急斜面であり、苔が生えて滑りやすい。また、山の中腹にはノコギリの歯のような「切所」がある。
この城の背後にそびえる山は、山深い米良の山々につながっているので、城の背後の山からは攻め寄せる道がない。 また、城の正面、左右の三方は、はるか下まで続く絶壁である。(この写真は城の右側から見たアングルである)その絶壁の下を流れる川(高城川:現在の小丸川)は、白い波が岩に激しくぶつかるような急流で、所々が深くなっている。
この城は、たとえ守備兵がいなくても簡単にはたどり着けないような難所である。」
ダムに沈む前の岩肌の様子は次の写真を参考にしていただきたい。




石ノ城