日向国 謎の事件簿−ヌルユ殿 の家臣の美しき人間愛−

敗走する大友方の武将が体験したという奇跡体験(キリスト教版)


本編大友勢 日向より去り、島津氏日向国を完全に掌握すで見たように、
高城川原での決戦に敗れた大友勢は、豊後国への地獄の逃避行を強いられた。
ここでは、その逃避行中に起こったと記録されている出来事を紹介する。

ヌルユ殿 の家臣の美しき人間愛

以下、ルイスフロイス 日本史より。(当時の宣教師が書き残した記録であるので、幾分宗教色が強い)
府内から2里ほどの大在おおざい(現在の大分市大在であろう)に館を持つ、若いが身分の高い武将がいた。
彼は奴留湯(ぬるゆ)殿と呼ばれる武将である。
この武将は、日向国に侵攻した大友勢に従軍して、高城の決戦における敗北により、数箇所に重傷を負った。
彼は意識を失ったまま、他の大友方の将兵の死体の中に埋まり、自他の血の海の中で、厳寒の12月(西暦)の屋外に放置されていた。
この武将には一人の若い家来がいた。彼らは二人ともキリスト教徒ではなかったが、この家来は善良な人間であった。
この家来は危険を顧みずに戦場へと引き返し、夜の月明かりを頼りに無数の死体の中から主人である武将を探し出そうとしたのである。
彼の善良な行いを見たゼウス(神)は彼を助け、彼は奇跡的に無数の死体の中から彼の主人を見つけることができた。
発見された主人は、一見すると死んでいるような状態であったが、彼が主人の顔に水を吹きかけたり口移しで水を飲ませたりしているうちに、奇跡的に目を開けた。
しかし、この武将は何とか意識を取り戻したものの、言葉を発することも出来ない程の重篤な状態であった。
この家来は、それでも武将を背負って豊後に帰ろうと、見知らぬ土地の夜道を歩き始めた。しかし、すぐに島津方の兵に捕まってしまった。
この家来はとっさに、『私が背負っている重傷者は自分の兄弟であり、私は彼の死体を捜して埋葬するために戦場に戻ってきたのだ』と嘘をつき、『どうか殺さないでほしい』と涙ながらに訴えた。
ここにおいてもゼウスは彼らを助けた。つまりゼウスは、その場でこの話を聞いた島津方の将兵の同情を誘い、彼ら主従を殺害することを諦めさせた。
更に(ゼウスの働きかけにより)島津方の兵は、この家来に「重傷の兄弟」の看病をすることを許し、この武将は重傷から回復することが出来た。
傷が治った後も、この武将は身分を隠し、この家来の兄弟として振舞っていたので殺されることがなかった。
その後、彼らは別々の場所に奴隷として売られてしまった。
しかし、この家来はあきらめなかった。彼はいろいろと手を回して主人(奴留湯ぬるゆ殿)をよく知る商人に頼んで、薩摩にいた主人を買い戻してもらうことに成功した。
この武将はついに豊後に帰還できたのである。
豊後ではこの武将は死んだものと思われていたので、彼は皆の歓迎を受けた。
その後、彼はキリスト教徒となり、府内から7里離れた由布の地(おそらく現在の湯布院のことであろう)ではキリスト教徒が1000名を超え、教会が作られた。
彼は自分を助けてくれた家来の行方を必死に探したが、ついにその家来を見つけることは出来なかった。
彼は、自分を助けてくれた家来が自分に注いだ人間愛は、母親が一人息子に注ぐ愛よりも深かったと語ったという。
(ルイスフロイス 日本史)


分析

奴留湯殿(ヌルユドノ)とは実在の人物か?

結論としては、大友方の文献と付き合わせると実在の人物の可能性が高いと考えられる。
論拠は以下の2点である。
まずは、”奴留湯”という名前の武将が高城合戦に参加していたという裏付け資料がないのか探してみると、存在した。
@高城合戦に”奴留湯”という名前の武将が参加したと確認できる資料
両豊記
この文献には、天正六年八月十二日に大友宗麟と共に、豊後から日向国侵攻に出発した、主だった武将の名前が列挙されている。その名前の中に”奴留湯”という名前が記述されている。
”奴留湯”という名字の、ある程度の身分の武将(の一族)が高城合戦に参戦したことは間違いない。
ただ、この物語の登場人物本人かはわからないが、フロイスがこの武将のことを「高貴な人物」と書き残しているので、本人のことかもしれない。

さらに、フロイスの記述を見ると、以下の2つのことが分かる。
彼は由布(おそらく現在の湯布院付近)の地を本拠地としていた。
彼がキリスト教徒となることによって、彼の本拠地の由布に1000名以上のキリスト教徒が誕生し、教会も建てられた。
A由布地方と、”奴留湯”という一族の関連が確認が出来る資料
資料名紛失(資料名のメモをなくしてしまいました。大分県の資料だったのですが)
人物一覧の中に、以下の記述がある。
”温湯 主水正”(ぬるゆ もんどのしょう)由布の郷人。豊前門司城に住む。
由布地方に、”ヌルユ”( 奴留湯、または温湯と書くのであろう)という一族がいたことも間違いないようである。

所感

極限の体験は人間の価値観を変えるというが、この武将にとっては、まさにそのような体験だったに違いない。
この事件の当事者である彼らは、彼らの体験の記録が、遠くヨーロッパに数百年間受け継がれた後に、日本人である我々の目に触れるとは夢にも思わなかったであろう。
ちなみに、ヌルユ殿はパンタリアンという洗礼名を得ている。

佐土原城 遠侍間 佐土原城 遠侍間 リンク

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