このページは、主に佐土原城の紹介や、「鶴松館」(佐土原城跡地に建てられている資料館)の現在の情勢・取り組み・イベント等についてご報告します。情報は「筑前守」さんと「まつ姫」様から仕入れて?(笑)おります。
愛宕神社の夏祭り・・・喧嘩ダンジリ・・・
水風船・・・金魚すくい→近くの用水路に放流・・・
すべてが懐かしい・・・
佐土原人形の「饅頭食い」(1枚目のポスターの真ん中の両手に饅頭を持っている人形)を見ると、懐かしいですね。
実家にデカイのがあった記憶が・・・
あの線路沿いの佐土原人形の窯元?に見学に行ったのも思い出しました。
くじらようかんも食べたい・・・
伊東義祐は、島津氏との飫肥城をめぐる血戦に勝利し、日向国のほぼ全域を掌握しました。
まさに伊東氏の全盛期を作り上げたその人物の企画展です。
佐土原激震?伊東義祐の肖像画は実は別人だった?・・・
色々な戦国武将に関する本で、伊東義祐といえばこの肖像画という感じで掲載されているあの肖像画です。
以前から佐土原の内部でも、本人かどうか異論が出ていたものなのですが・・・(笑)
佐土原歴史資料館寄託品である、巨田神社棟札―国指定重要文化財―を中心に、
巨田地区に伝承されている神楽、鴨越網猟などを紹介します。
巨田神社
現在では想像もつきませんが、
江戸時代の一ツ瀬川は佐土原藩の主要な交通路としても利用されていたようです。
佐土原の人々や物産は、一ツ瀬川を通って京都、大阪や江戸に旅立って行ったのですね…。
また、そんな旅の途中では色々な事件が起こったようです。
この企画展では、それらの事件もご紹介します。その事件のひとつの「さわり」をご紹介します。
『佐土原藩の参勤交代の旅での事件〜殿様の急死と佐土原藩存亡の危機』
参勤交代の旅の途中、滋賀県草津で佐土原藩の殿様が急病で亡くなりました。
当時の江戸幕府の決まりでは、殿様の"あととり"が決まっていない状態で殿様が亡くなると、その藩は「取り潰し」でした。
このときの佐土原藩は、殿様が旅先で急死したので、あととりを決める時間がありませんでした。
このままでは佐土原藩は取りつぶしです。佐土原藩はここでウルトラCを決めます!
佐土原藩は、宿泊していた宿の主人に殿様の死去について厳重に口止めをして、急いであととりを決めます。
そうして、あととりが決まった後に、江戸幕府に殿様の死去を報告します。
もちろん殿様の死亡日は、あととりを決めた日付よりも後の日付で報告しました。
こうして何とか取り潰しは免れたものの、殿様の本当の死亡日がばれると、やはり取り潰しです。
しかし、この宿の主人の子孫の方々は、佐土原藩との約束を江戸時代から現在まで守り続け、
佐土原藩の殿様の本当の死亡日が書かれている宿の記録を一切外部に出しませんでした。
しかし、その門外不出の資料(複写)を、今回初めて佐土原城で行われる企画展に出していただくことになりました。
感謝して拝見しましょう!特に佐土原の皆さん!!
今回の企画展では、江戸時代における佐土原からの物産の輸送や、
佐土原の人々の旅の歴史として、「参勤交代の旅」、「女性の旅」、「修験者の旅」などを、
一ツ瀬川とからめて御紹介します。
また、有名な東海道五十三次(京都から江戸への東海道の宿場の様子を描いた浮世絵)も展示いたします。
企画展のテーマのひとつである一ッ瀬川をより深く理解していただくために、
一ッ瀬川流域の植物を御紹介します。
初心者向けです。江戸時代の古文書を、やさしく解読します。
古月禅師は、江戸時代に佐土原で生まれた名僧です。
その名声は日本全国に知れ渡り、「東の白隠、西の古月」と称されるほどでした。
古月禅師は、厳しい禅風と共に、人々を導き、人としての生きかたを示しました。
企画展では、特に人々をいかに導いたかという資料が中心に展示されているようです。
古月禅師の教えや心が、今もなお生き続けていることが感じられるかもしれません。
古月和尚の墨蹟
お抹茶のサービスです!!企画展を見た帰りに、ちょっと召し上がってみてはいかが?
古月禅師の庶民教化(→一般の人々を教え導くこと)をより深く理解してもらうために、
同時代に生きた日講上人の活動と比較しながら考察するそうです。
昔から、佐土原にてお盆に踊られている「いろは口説」の踊りの披露です。
ちなみに管理人も踊れます。まだ憶えています!!ああ踊りたい(笑)
商家資料館の館内を一新しました。
一階は商家の佇まいが感じられるような資料の配置に模様替えを行いました。
二階には、いろいろな商家資料を展示しております。
毎週土曜日10時〜12時には、
無料でお抹茶のサービスを行っております。
おもむきのある旧家でいただくお抹茶は、なかなかのものです。
<商家資料館>
お車の方は鶴松館駐車場をご利用ください。
鶴松館から商家資料館への道は鶴松館職員にお尋ねください。
おかげさまで商家資料館 始まって以来の多数のお客様に来ていただけたようです。ありがとうございました!!
江戸時代の文書を読んで、当時の人々の生活に触れてみませんか?
新しい発見があるかもしれません。
初心者向けにやさしく解説をします。
幕末といえば薩摩藩(島津家)。
でも薩摩の島津家だけではなく、佐土原の島津家もいろいろとやってるんです!!
島津斉彬により、日本で初めて作られた大砲船の平面図が、なんと佐土原に現存していた!!
明治維新を戦った佐土原藩士が残した、敵の刀の刃が「みね」に食い込んだままの刀!!
などなど、貴重な資料を公開します。
←鶴松館の職員の方と協力者の方の手によるポスターです。
クリックすると拡大で見られます。
おかげさまで、鶴松館始まって以来の多数のお客様が来場されたようです。ありがとうございました!!
聞くところによると、はるばる東京から、問い合わせのお電話もいただいたようです!!ありがとうございました!!
機運は盛り上がってきた!!さぁ、次は佐土原城武者行列会の旗揚だ!!
講師の末永氏は3月10日に、著書「宿志の人 平部〓(山に喬)南(ひらべきょうなん)」が第16回宮日出版文化賞(宮崎日日新聞社主催)を受賞されたらしいです。
今年の9月に歴史資料館へ寄贈された約50点の品々を一堂に展示されます。
家紋と文字入りの調度品や金箔の屏風など、注目すべき品々が展示されているようです。
発掘品などの資料を見ることができる貴重な機会です。
詳しくは主催者である佐土原町役場にお問い合わせください
巡見講座(佐土原城跡を歩いて見て回ります)
発掘現場とはいえ、丘の上です。当日は歩きやすい服装と靴で参加するのがよいと思われます。
残念ながら前日からの雨で、中止となりました
佐土原城の本丸部分は山城ですので、
前日からの雨で山道が危険な状態となり、中止されました。
宮崎市になっても次の機会があることを祈っております。
第1部 天守台の発掘調査から見えたもの
<講師> 木村明史 氏
公演項目
1.佐土原城跡天主台発見までの道のり
2.佐土原城跡天守台の発見
3.佐土原城跡天守台発掘調査の紹介
4.佐土原天守台の論争
5.佐土原城跡の展望
第2部 古絵図・文献から見た天守
<講師> 末永和孝 氏
公演項目
1.佐土原城の重要性
2.佐土原城の変遷
3.天守の築造と構造
公演内容
佐土原城跡が国指定の史跡になったのは、なにが評価されたのか?
1.佐土原城は中世の山城として築城されたものだが、
江戸時代の寛永2年(1625)まで使われ、中世から近世期にわたった城であったこと。
さらに、寛永2年に山上から山下に城を移したとき、平城の縄張りもととのえたため、
現在、山城と平城の遺構を同時にら見ることができること。
2.本丸の発掘調査から天主台が確認され、南九州で唯一、天主を持った城であったこと。
さらに、桐紋瓦や菊紋瓦の出土から、豊臣秀吉が全国を統一し支配していく過程で
佐土原城をどのように位置づけていたかがわかる城であること。
ご来場の方の中に・・・
後日、人づてに聞いたのですが、
当日会場に「インターネットを見て聞きに来た」という方がいらっしゃったようです!
当HPかどうかは分かりませんが、「少しはお役に立てたのかなぁ」と管理人の士気は上がっております!!
鶴松館マニア(?)である。なぜか鶴松館に詳しい・・・。