佐土原城の終わりと今後のこと

鶴松城(山城やまじろ部分)の破却と、平城ひらじろである松鶴城しょうかくじょうの造営

鶴松城が構築された13年後の寛永二年(1625)に、財政難を理由に造営者の島津忠興しまづただおきによって鶴松城(佐土原城)の、天守を除く山城部分(松尾丸、南之城、本丸)の建物が破棄された。
本拠地は、山の下の平野部分に新たに平城ひらじろ(平地に建つ城)として造営された二の丸に移された。
これにより、山城やまじろである鶴松城は破棄され、新たに造営された平城部分が松鶴城しょうかくじょう(鶴と松をひっくり返しただけ)と名づけられた。
それでもやはり、「佐土原城」という呼称は生き続けており、一般的には佐土原城と呼ばれ続けていた。
佐土原城縄張6
破却の危機をのがれた殿子丸の天守は、三代藩主 島津久雄ひさかたの代までは残されていたようであるが、
やはりその後の財政難により破棄されてしまった。
佐土原城縄張7
ここで、「何で二の丸と三の丸と呼ばれる部分があって、本丸が無いのか?」と疑問がわいてくる。
そう。実質的には無いのであるが、形式上、破棄した山の上の本丸がある(機能している)というタテマエなのである。
これは、「佐土原藩にはちゃんとしたお城があるから、城持ち大名なんだ」という主張を貫くための方便である。
この、城持ち大名(城主格)と、屋敷しか持っていない大名(無城)の区別は、徳川幕府が定めた大名の序列(ランク付け)であり、城持ち大名(城主格)の方が序列が上であった。
その昔は天守がそびえる立派な城(鶴松城)を持ち、堂々と城主格を名乗っていた佐土原藩としては、「無城」に降格することはどうしても避けたかった。
よって、とっくに破棄してしまっていた山城部分の本丸を今でも使っているかのように見せかけるために、平城部分を二の丸、三の丸と呼んだのである。
つまり、「平城(二の丸、三の丸)部分は山城を防衛するための曲輪であり、本拠地は山城の本丸で、今でも使ってます。」というタテマエのもと、「城主格」を守り通していたのである。
無論、これは方便であり、山の上の「本丸」の部分が佐土原城の本拠地であったことは一度もなかったのである。

佐土原城のおわり

松鶴城(佐土原城)は明治維新までずっと佐土原島津氏の居城であったが、明治三年(1870)に広瀬に移転したため、全て破壊された。
一方、広瀬の城もその後の明治政府の方針により取り壊されてしまった。
ちなみに広瀬の城の本丸は、現在の広瀬小学校の場所であった。
結局のところ佐土原には、どこにも城が残らなかった。


以前は2006年1月時点での最新の学説を掲載していたが、
2011年7月に出版された「佐土原城 天守を持った山城の歴史」(鉱脈社刊 末永和孝著)を参考に大幅に修正した。

佐土原城の今後 -いかに正確に全貌を調査し、保存するか-

佐土原城跡は、平成十六年(2004)に国指定の史跡となりました。国指定となったからには、復元するとしても調査分析に基づいて忠実に復元されなければなりません。
また、何度か改築を繰り返した後に破棄されているので、改築前の状態も出来るだけ探りたいものです。
今回、「佐土原城 天守を持った山城の歴史」の記述の通り、宮崎県内外の古文書の分析により、ある程度の佐土原城の歴史が分かってきました。
次は、文献調査から構築された仮説を発掘調査で裏付ける(覆す)作業が必要です。
現状においては、本丸・殿子丸については発掘作業が終わっていますが、南之城、松尾丸など未発掘部分が多く残されており、特に以下の部分の調査が必要であると考えます。

@田嶋之城の全貌の調査

伊東氏の前に田嶋氏が最初に建てた田嶋之城は、伊東義祐の代に火災で焼失しました。
とすると、この部分を発掘し、火災跡(焼け焦げた地層や、埋まっている焼けた物品)を調査することによって、失われた田嶋之城のおおよその全貌が分かります。(イタリアのポンペイ遺跡みたいなものですね!)
これは、田嶋之城が火災で焼失したからこそ可能な調査です。普通に建て替えられていたら、田嶋之城の全貌は迷宮入りだったのです。この幸運?を活かさない手はありません。
しかし今、この場所の調査をせずに展望台のようなものを建ててしまうような計画がなされています。
宮崎市にお願いします!! 遺跡が壊れる前にきちんと田嶋之城(松尾之城・高尾之城)の発掘調査をしてください!
佐土原城 松尾之城












現在の松尾之城跡。荒れ果てている・・・

A南之城の全貌の調査

すでにご紹介したとおり、伊東義祐が大規模な山城として佐土原城を再整備して以来、城の本拠地(事実上の本丸)はずっと南之城でした。
佐土原城を語る上では、最重要拠点である南之城についての発掘調査は必須と考えられます。
しかし、南之城もいまだ未調査です。
佐土原城の最重要部である南之城を発掘せずに佐土原城の全貌が分かるとは思えません。
ここを調査すれば、松尾丸との関係や、その後本丸として整備される部分との関連なども分かるかもしれません。
いずれにしても、南之城を未調査にして、その上に公園施設を建設してしまうのはまずいのではないかと考えます。
宮崎市にお願いします!!  遺跡が壊れる前に是非、南之城の発掘調査をきちんと実施してください!
佐土原城 南之城













現在の南之城跡。

佐土原城、大ピンチ?

南九州で唯一の天守を持つ城として近世に栄えた佐土原城、色々なドラマや歴史を持った魅力あふれる城です。
こんな魅力ある城が、安易な公園化などで破壊され、永遠に失われることがなく、郷土の誇りとして後世に引き継がれていくことを切に祈ります。
遺跡は壊れたら終わりです。二度と戻りません。
壊れた後にどんなにお金をかけて作っても、しょせんそれはバッタモノ、空想によるニセモノに過ぎません。
空想のニセモノ城でも良いのだったら、京都の時代劇村か、ディズニーランドのシンデレラ城を見に行く方がよっぽど楽しいことでしょう。(アトラクションもいっぱいありますしね・・・)
佐土原城は、そんなものじゃない!と思います。

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