日向守関ヶ原訪問記

その二 石田三成陣所跡


ここでは、上図左上部分にある、石田三成(西軍)の陣所跡の写真を紹介します。

石田三成(東軍)の陣所跡は、木製の柵が再現されています。
着陣して一夜でここまで柵を造営できたかは分かりませんが、当時の雰囲気は感じることが出来ます。

山を登りながら、石田三成陣の内部に入って行きます。

段々畑状に柵に囲まれた陣地が構築されています。

石田三成陣から正面(南宮山方向)を見る。


毛利秀元は、正面左よりに見える南宮山の頂上の向こう側に陣を張っています。恐らく石田三成からは、毛利勢の動きは見えなかったはずです。
石田三成は、動きも分からず一向に姿も見せない毛利勢にさぞイライラしたことでしょう。
徳川家康の陣も、左端の山の尾根に視界を遮られて、ギリギリ見えなかったと思われます。
また、眼下の平野には、東軍の諸将がズラリと並んで陣を張っています。
右側の遠方には福島正則の陣が見えたはずです。
石田三成陣から右側(松尾山方向)を見る。


正面の2番目に高い山が松尾山で、小早川秀秋が陣を張っていました。
現代人の私が見ても、旗指物をつけた集団が山道を登ったり降りたりすれば何となく動きが分かる感じなので、石田三成は小早川勢の動きははっきり見えていたはずです。
写真右側の傾斜がきつく見える山は天満山で、ふもとに宇喜多秀家、小西行長が陣を張っていました。
その少し左側、石田三成の陣から一番近い場所に島津義弘・島津豊久が陣を張っていました。ちょうど木に視界を遮られて見えませんが・・・
石田三成の陣からは、関ヶ原において戦場となった場所はほぼ見渡せる場所であったと思われます。

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