日向守関ヶ原訪問記

その三 島津義弘陣所跡


ここでは、上図左より部分にある、島津義弘・島津豊久(西軍)の陣所跡の写真を紹介します。

小池の、島津義弘陣所跡。

石碑が建てられています。

西軍の宇喜多勢・小西勢が着陣した、天満山を"振り返る"。写真の真後ろが東軍の陣地です。
前面の東軍を意識すると、天満山は、完全に『右後ろにある』感じです。
宇喜多勢・小西勢の前衛部隊は右隣に展開していたかもしれませんが、間違いなく本陣は宇喜多勢・小西勢よりも前にあったような感じです。

島津義弘陣から正面(南宮山方面)を見る。


島津義弘の陣は平地のため、見晴らしは悪いです。
正面遠くに見える南宮山の頂上の向こう側に、西軍の毛利秀元が陣を張っていますが、全く見えませんし、気配も感じられません・・・
目の前にはずらりと東軍の前衛部隊が並びます。その東軍の前衛部隊の向こう側ですが、井伊直政・松平忠吉の部隊が島津勢の正面にいることが分かります。
右側の遠方には福島正則の陣が見えたと思われます。

島津義弘陣から右側(松尾山方向)を見る。


正面の林の向こう側に見える山が松尾山で、小早川秀秋が陣を張っていました。島津義弘・島津豊久にも小早川勢の動きは見えていたはずです。
写真右側の見えない部分に天満山があり、宇喜多秀家、小西行長が陣を張っています。
少し右側の遠方に、西軍の大谷吉継が陣を張っており、その左側の遠方に陣を張る、福島正則・藤堂高虎・京極高知とのにらみ合いが見えたはずです。
島津義弘・島津豊久からは、関ヶ原における戦闘開始のきっかけ(東軍の井伊直政勢からの宇喜多秀家勢に対する銃撃)が見えたと思われます。

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